message in a bottle

映画と推し達について

サバイバルファミリーと未来少年コナン

映画サバイバルファミリーを見た。

以下、鑑賞当日の感想ツイートを引用。

 

上記には書いていないが、私は好きだけども好き嫌いが分れるかもなぁという印象を受けたのだが、一週目の観客動員ランキング2位、2週目にかかる週末の動員ランキングも4位と好調なようで良かった。

何故好き嫌いが分れると感じたかを以下に書く。

完全にネタバレせざるをえないのでtwitterに書くかどうか悩んで、昨年夏借りたまま放置していたこのブログを稼働させることにした。

 

この映画は矢口史靖監督作品のこれまでの「家族で安心して見られる、皆で大笑いできる映画」というイメージと違ってなかなかにシビアである。と、好意的な感想には大抵書いてある。

実際にシビアだし、また、シビアさを隠しながら小出しに見せる、想像させる技術が生半可なものではなく、流石「安心して見られる」のブランドイメージを築いた人だ!と感動する。

しかし中盤からそのシビアさに相反する妙に楽観的な部分が混じり始める。

それは、主人公鈴木さん一家とは異なる「サバイバル能力がある人達」のサバイバル能力への信頼である。

 

「サバイバル能力がある人達」の象徴としてバーンと現れる、顔立ちから濃い人ばかりを集めた斉藤さん一家の描かれ方からして、自覚的に誇張して描いているのだろうとは思うのだが、それにしてもシビアな部分との落差が大きくて段々むずがゆくなって来た。(但し、作り手の目線がサバイバル能力の無い鈴木さん一家にあるのは明白なので、嫌味は感じない)

私の愛する大地康雄さんが配役されている田中さんなんてまさにスーパーヒーローである。一応彼も、若い働き手がいなくて困っているし息子さん達と連絡が取れなくて心細いと描かれているが、家の中は清潔で整頓されておりとても高齢男性一人暮らしには見えない。(室内のディテールがすごく細かい映画なので余計に気になる)

農業をテーマにした映画「恋するトマト」の企画・脚本・製作総指揮・主演を務めた大地さんを配役した点からも、田中さんは開き直ってスーパーヒーローとして描かれているのが判る。

 

私のむずがゆさは、エピローグの2年後の鹿児島の描写で頂点に達した。

漁船のエンジンを動かす油はどうやって手に入れたの?まさか手漕ぎ?

なんだそのピカピカのトマトは!

これまで「弱い者からやられる」という描写を隠しつつ上手に入れていたのに、健やかそうな子供達が走り回る描写を入れちゃったよ~(>_<)

しかし鈴木家の妹ちゃんが機織りする画面で一気に私の違和感は氷塊した。

 

ここハイハーバーじゃん!!未来少年コナンの!!!

 

そう言えば鑑賞前から何故「豚」なのかが気になっていた。

鶏では画面のインパクトが足りない、牛では扱いが大変過ぎるから豚なのかとも思ったが、多分そうではない。

未来少年コナンの、豚を巡るドタバタから着想されているのだ!

 

未来少年コナンは1978年の作品である。

高度経済成長、第一次石油ショックを経て、冷戦終結もバブル景気もまだ迎えていないこの時代、作品内には自然との共生への素朴な憧れが満ちている。

ハイハーバーはその象徴である理想郷だ。ハイハーバーなら、魚がガッポガッポ獲れても健康そうな子供達が走り回っていてもおかしくない。

未来少年コナンは長編なので理想郷ハイハーバーにも人間関係のゴタゴタが存在するのだが、サバイバルファミリーは2時間の映画だという事もあり人間関係は驚くほどこじれない。鈴木さん一家が情報を入手できず、興味も持たない為、社会秩序がどうなっているのかも判らない。だから鹿児島ハイハーバーはより純粋な理想郷に見える。

実際の所、監督が未来少年コナンを見た事があるのか、影響を受けているのかは分からないが、あの楽観を私の中で言い表すとしたらコナンしかない。

 

サバイバルファミリーの作中には、長い不景気と原発事故を経た、われわれ現代日本人の生きる力の弱さへのカラッとした悲観と、かつてこの国にあった、自然との共生への楽観的な憧れが、モザイクのように同居している。

見る人によって、とても怖ろしい話にも見えるし、あり得ないほど能天気な話にも見えると思う。

未来少年コナンが好きな人には是非サバイバルファミリーを見て欲しい。そして実写版・豚とのドタバタアクションの感想を私に教え下さい。